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何もしたくなかった。
残ったのは「好きなこと」。

その豊かな表情が物語るように、幼い頃から演劇と絵を描くことが好きだったという村野さん。幼稚園から劇団に所属しながらも、中高は普通科の一貫校に通い特に大きな目標もなく過ごしていたのは意外だ。転機は高校1年生で訪れる。「高1で早くも進路選択を迫られたんですが、何をしたいか浮かばなくて。絵はずっと好きだったけど、成長するにつれて自分より上手い子が増えていったから半ば諦めてはいたんです」。そんなもやもやを晴らしてくれたのは、当時の担任の先生の言葉。「絵を描くのが好きなら美大に行ってみればいいと言ってくださったんです。その後押しのおかげで、他にやりたいことがないなら“好き”を信じて目指してみようかなって思えましたね」。

その後、高校1年の冬から予備校へ通い始めた村野さん。「初めてのデッサンで、使ったこともない木炭を持たされて、ヌードモデルを前に途方にくれたのを今でもはっきり覚えてますね(笑)もちろん描いた絵も酷評されて…私の美術の道はそんな風にいやいや始まったんです」。しかし、美大に行きたいという思いで努力を続けたからこそ、彼女は今この場所にいるのだろう。

描きたいものは、
今感じているもの。

約2年間の予備校通いの末、親御さんと交わしていた「現役で合格するなら美大に行ってもいい」という約束を無事に果たした村野さん。ただ、入学してからの1年間は迷いを常に抱えていたという。「高校の終わり頃私が描いていた絵は、すごくカラフルで一見奇抜とも取れる作風でした。でもそれとは逆に、予備校時代からずっと『もっと目で見た通りに描写した方がいい』と言われていたせいで、どこか自信を持てずにいたんです」。

しかしある時期を境に、あれ程苦手だったデッサンが好きになったのだそう。「『もっと自由に、生のまま、感じたもの全部描いていい』って言ってくださる先生に出会えたんです。気持ちがスッと軽くなるのが自分でも分かりましたね」。そうすると今度は、不思議と自分の絵から色や要素がそぎ落とされていったという。「私が今描きたいのは色彩ではなかったんだなと気づき始めて。私は、悪く言えば飽き症、好きなものが色々と変わっていくタイプ。それなら、1つの作風を磨き上げるよりも、今好きなもの、今描きたいものを素直にキャンバスにぶつけた方が、楽しくのびのび制作に打ち込めるし、結果的にいい作品に仕上がることが分かったのは大きかったですね」。

ただ描くことから、
伝えることへ。

大学2年に進級した頃から、作風の解放と共に自身の気持ちも不安や迷いから解き放たれ“もう一度女子美に入学した”ような感覚になったと、村野さんは語ります。「自分が描く作品のテーマについて考えるようになったのも丁度この時期からでしたね。“好きなように描く”だけではなくて、その絵で表現したいことや伝えたいこと、物語性などを込めるようになったんです。それは、サンマ高騰から発想した地球規模の環境問題であったり、“美人とは?”みたいな価値観であったり」。

村野さんの作風の幅は、設けたテーマの数だけ次々と広がっていく。「作品によってタッチも画材もガラッと変わっちゃいます。それに、自分以外の作品についても“どんな思いで描かれたものなのか”と言う視点で見られるようになりましたね」。

描きたいものと伝えたいもの、どちらも同じように大切にしたら、学生選抜展への選出・審査員賞受賞などの結果もついてくるようになった村野さん。今後の目標を最後に聞いてみると「もっと外に目を向けていきたいなと思っています。それと同時に、自分の作品ももっと外の世界へ発信していきたいですね」。そう教えてくれた彼女の目は、紛れもなく先を見据えていた。

※2019年5月に取材したものです。