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パンデミックによって
感受性が研ぎ澄まされた

ドイツ・ベルリンに活動拠点を置くイケムラレイコ先生。新型コロナウイルスのまん延によって海外には2年以上行けなくなり、展覧会も軒並み延期になったと語ります。目まぐるしい日々から一転、新たな日常にはゆっくりとした時が流れ始めました。

「見慣れた風景の中に美しさを見つけたり、些細なことにすばらしさを感じたりするようになったのです。飛行機も飛ばなくなり、交通も縮小して排気ガスが減り、空がとてもきれいに見えたこともそのひとつ。澄み渡った空気や鳥のさえずり、喧騒を忘れた街並み。知らないベルリンの姿にハッとしました。まるでジョルジュ・デ・キリコの絵を見ているような不思議な感覚でしたね」

自分が「異邦人」だと強く意識したのもコロナ禍における変化のひとつ。ベルリンのような国際都市において海外旅行客がいなくなると、日本人であるというアイデンティティは際立ちます。ふいに「ここで自分は何をしているのだろう」という思いがよぎることもあったと明かします。

「慌ただしく過ぎていく日常においては意識しない哲学的なことにも思いを馳せました。私たちが今向かっている先にあるのは死かもしれないし、今の生活を失うことかもしれません。生活に振り回されていると、こうしたことは考えていられませんし、それはそれで安心なものです。でも考えざるを得ないことによって神経は研ぎ澄まされます」

コミュニケーションの形も、対面からオンラインを中心としたものへと変わりました。ドイツに身を置くイケムラ先生にとって、Zoomで気軽に日本の学生と対話できる環境が整ったことは、ポジティブな変化だったと言います。

富や名声といった
エゴイズムを超えて作品を

コロナ禍では、人との関わり方にも変化がありました。大勢で会う機会は皆無になり、代わりに少人数で会話をすることで、人との関係性も深まることに。
「人と会うときは最高でも4人。おかげで、これまでは挨拶を交わす程度の間柄だった人とも、緊密な関わりを持てました。塩田千春さんとの出会いもそのひとつ。コロナがあったからこそ始まった交流です」

塩田千春さんは、イケムラ先生と同じくベルリンで活動するアーティスト。食事をともにしたのをきっかけに交流が始まります。互いのアトリエを行き来し、対話を重ねるようになり、展示『手の中に抱く宇宙』(2021年、ケンジタキギャラリー)に向けて共同制作を行う間柄になるに至ります。

Leiko Ikemura & Chiharu Shiota. Holding the Universe in the Hand, 2021 Kenji Taki Gallery Nagoya, Exhibition View, Photo by Tetsuo Ito

「彼女とのコラボレーションは、非常に豊かな経験でした。私が水彩を行っているときに、『ここからは塩田さんが糸で続けたら』と思った箇所で彼女に渡すのです。すると彼女は描きかけの絵を土台に新たな要素を加えてゆく。互いにインスピレーションを与え合い、想像の中で補い合いました」

性格や手法がまったく違う一方、仕事に向かうスタンスや生き方は共通しているのだとも。「ふたりとも、命懸けでアートに向き合っています。自分がこの世に存在するためにアートを切実に必要としているというのが。真摯に生きてきたことも共通点だと感じています」

Leiko Ikemura & Chiharu Shiota. Holding the Universe in the Hand, 2021 Kenji Taki Gallery Nagoya, Exhibition View, Photo by Tetsuo Ito

言葉にならない祈りを
新たなメディウムで

もうひとつ、コロナ禍で挑戦したのは、ガラスをメディウム(媒体)とした制作です。かねてからガラスでの制作に関心があったというイケムラ先生は、これまでにもさまざまなメディウムを扱ってきた存在のひとり。新型コロナウイルスのまん延がなければ、イタリアでガラス作品の制作に取り組む予定でした。ところが幸運にもガラスに造詣の深いアシスタントを得たことで、自宅で制作を始めることに。

「エジプトやシリアの工芸品に見られるガラス容器がとても好きなのです。ところが、現代アートの中には心惹かれるガラス作品があまりなくて。だったら自ら作るチャンスだと思ったのです。私にとってガラスは初めて扱うメディウムで、知らないがゆえに恐れを感じず、新鮮な気持ちで制作に臨めました」

それ以来、ガラス作品の制作を続けているイケムラ先生。『限りなく透明な』(2022年、ShugoArts)での個展では、絵画とガラス作品を発表するに至ります。

Copyright the artist, Courtesy of ShugoArts, Photo by Shigeo Muto

「コロナがまん延し始めた頃、抽象的な光と闇のイメージが浮かんだのです。ある種の矛盾ともいえますが、具象から離れた不可視なものを絵でどう表せるかに興味が湧いてチャレンジしました。絵を描いているときに、立体作品でも新しいチャレンジと変化を求めるに至ります。光と闇のモチーフを損なうことなく彫刻にするのに、ガラスは最適な素材でした」

展示作品における光と闇は、コロナにとどまらず、現代におけるさまざまな事象のメタファー。作品には「この時代に生きる意味をどう探していくのか」という問いや、言葉で表せない「祈り」が託されています。

「危機は、感受性や精神性を発展させるチャンスだと思うのです。必要なのは、背後にある人間の性(さが)や根源的な要因を追求していくこと。苦境に立たされたときに、乗り越えるだけではなく新たな学びを得て、エネルギーに変えて前進していく。創造の道には、そういう経験が欠かせません。ちなみに創造への希望はアーティストだけのものではなく、誰もがもっています。これを育んでいけば、世の中から戦争だってなくしていけるはずです」

Copyright the artist, Courtesy of ShugoArts, Photo by Shigeo Muto

語らずとも観る者を惹きつけるガラス作品の数々。長期間の海外生活で日本語から遠ざかっているイケムラ先生にとって、言語化できないものを表現できることもアートの価値のひとつです。「言葉は意味をダイレクトに伝えられる反面、意味に縛られるという限界もある。作品を制作する上では、言語化できないもどかしさも大切にしています」

Copyright the artist, Courtesy of ShugoArts, Photo by Shigeo Muto

自分を信じて
冒険してほしい

女子美で教鞭を執るご自身の役目を「場を提供して対話の機会を作ること」とイケムラ先生。学生自身が本来持っている素質を信じ、彼らがそれを自主的に発見するための「媒体」になる。これが先生の方針です。

「学生たちの前では、なるべく自分は白紙になるように努めています。教員が威圧的な態度をとったり学生の作品を否定すると、学生たちは萎縮してしまいます。人生経験がまだ浅い彼女らには、精神的なタフさは備わっていませんからね。教員の主義や理論を刷り込むよりも、学生ひとりひとりの人格を守りながら、各々が試行錯誤して自らの道を発見してゆくプロセスに関与していく心構えが大切だと思っています」

アーティストとしての顔と、客員教授としての役目。ふたつを持ち合わせるイケムラ先生は、オブザーバーとして学生を見守れる距離感を「ちょうどいい」と話します。そんな先生が、学生に対して抱く思いとは。

「女子美生からは、人間としてとてもいい資質を持っていることが伝わってきます。礼儀正しいのはもちろん、制作への意欲が高く、ひとつひとつの作品に真剣です。一方で、早くアートギャラリーに見いだされなければといった安定志向が見え隠れすることも。アーティストが将来を見通しづらい職業であることから、彼女たちが焦ることも理解できる。その反面、非常に若いうちからすぐに結果を求めてしまっていいのかと疑問に思う部分もあります」

「アートとは直接関係のないさまざまな経験が今の活動に生きている」と言う先生は下積みの期間中には、観光ガイドや大使館の手伝いなどいろいろなアルバイトをしたことも。こうした自身の生き方が学生たちの励みになればと語ります。

「アーティストとしての野心を持っているなら、焦ってキャリアを決めるよりも、むしろ苦労を厭わずさまざまな立場を経験してほしい。技法や理論を学ぶだけでなく芸術の枠をも超えて冒険する。その過程では、社会や自分の中にある良い面も悪い面も目の当たりにするでしょう。そこでの豊かな人生経験が、人間性を深め、アートの質をも高めてくれるのです」

イケムラ先生は「これこそがアーティストとして自己の生を全うすることだ」と語ります。自分を信じて果敢にチャレンジしてほしいと話す先生の眼差しからは、学生たちへの温かなエールが伝わってきました。