企業で働いていながら、なぜ絵本作家を目指そうと思ったのですか?
私が企業で仕事をしていた頃は、ちょうどバブルが崩壊して世の中がキャラクター離れをしていた時代でした。キャラクターデザイナーとして自分のキャラクターを生み出したいという夢を持ち続けていたので、何か自分なりのやり方があるのではないかと模索していました。
そんな中で出会ったのが、外国の絵本でした。外国の絵本には必ず“親愛なる妻へ”とか、“子どもたちへ捧げる”という身近な人に対するメッセージが記されています。絵本をつくっている根本的なスピリッツが違うのではないか、と考えさせられました。物語の絵を追って読んでいるだけで、キャラクターが生き生きとしていました。私も外国の絵本のように、お話も絵も自分でつくってみたい、これこそ自分が挑戦できる仕事だと決意しました。
絵本をつくることを決意してから、どのように勉強されたのですか?
決意はしたものの、どうやって絵本作家になるのか?という方法は皆目わかりませんでした。とりあえず、ひたすら本屋さんに通い、『moe』や『クーヨン』などの雑誌を読み、バックナンバーを手に入れ、講演会やワークショップに通いました。おぼろげながらどんな世界か見えはじめた時に、川端誠先生の絵本教室に通うようになりました。川端先生は「絵本はまず手でつくること」という主義で、32ページ15場面と表紙の原画をしっかり描くことを指導されました。その作品を出版社に持ち込んで、編集者に見てもらうことが第一歩だということを教えていただきました。
そこから絵本作家デビューの道へつながったのですね?
私は、『そらまめくんのベッド』の原型になるものを編集者に見ていただくことができました。いきなり絵本にするのは難しいけれど、月刊誌に掲載してくださるということで1997年の春にデビューしました。幸いにも読者のアンケート葉書で次の作品も掲載されることになったのです。そらまめくんは読者の方々が育ててくれた作品です。新人の時は、一作一作が次につながるのだと信じて、こつこつと仕事をしていたと思います。今では、キャラクターとして、ぬいぐるみやキーホルダーなど、さまざまな形で展開されており、とてもうれしく思っています。
これから女子美で学び社会に出ていく後輩に、何かメッセージをいただけますか。
私にとっては、企業で働いた経験がとても重要だったと思います。組織で働くことと個人で働くことのどちらかが優れているということではないのです。大切なのは自分が輝ける場を見つけることです。そしてそれは、自分で努力して開拓する以外に方法はないのです。