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卒業生の仕事紹介詳細

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山口 裕子

ディレクター・ジェネラルマネジャー

株式会社サンリオ ディレクター/ジェネラルマネジャー
芸術学部 産業デザイン科(現:芸術学部 デザイン・工芸学科)卒業

ハローキティの3代目デザイナーである山口裕子さん。1980年から株式会社サンリオでキティにさまざまな変化を与え続け、世界70ヶ国で年間5万種類の商品が販売されるキャラクターにまで育てあげられました。自ら考案した、サンリオショップを回る「サイン会」は海外を含め1,000回を超えるそうです。
どういうきっかけでサンリオに入社されたのですか?
就職難の時代、大学の就職課に求人募集の貼紙が1枚だけ出ていたのが、サンリオだったのです。会社説明会に行くと社長自ら、サンリオは商品やキャラクターについて社員全員で考える集団なんですよ、という話をしてくれました。
どういう経緯でキティちゃんのキャラクターを任されたのですか。
キティちゃん担当の2代目が退社した時、3代目を決めるためのコンペがあったので、まずキティちゃんって何だろうと考えました。キティちゃんが将来なりたいのはピアニストでしたが、ピアノを弾いているところを見たことないなと思ったのです。そこでグランドピアノを描いて、ほほえましい両親がいて、キティちゃんのピアノの実力は1本指で弾いてみるぐらいという設定にして、ピアノが家に来た日のお話を考えてプレゼンをしました。
そこからどうやって30年近く人気のあるキャラクターに変身させたのですか?
ある日、レコード店の前を通った時に新人歌手がキャンペーンをしているのを見て、そうだ! 私もお店の前でキティちゃんをよろしくお願いしますってイラストを描いて、サイン会をしようと思いついたのです。これは今まで続けていて、たくさんのヒントをサイン会のお客様からいただいています。日本全国、最近は海外も含めて1年に40回ぐらいやっています。サイン会に来てくださる人たちの心から離れちゃいけないなと常に考えています。
今のように人気が出てきたのはいつ頃からですか?
80年代のはじめ、アメリカでキティグッズを現地生産するためにサンフランシスコに1年間住んだ時、アメリカの文化とか生活習慣とか素材になるものをキティ用にたくさん描きためていました。それらをデザインして商品化したものが、1985年の秋に初めて社内一番の売上げになったんです。
どうやったら売れるようになるのでしょうか。
ある時、キティちゃんの真似をしてリボンをつけているクマのお友だちをつくりました。両親はキティちゃんの家にこの子を預けてニューヨークに転勤になっちゃったみたいな。それを『いちご新聞』に出したら大きな反響があったのです。ストーリーがあることによって、みんなが関心を持ってくれるということがわかりました。また、高校生から自分が持ってもおかしくない商品をつくってほしいという手紙をもらったことがありました。モノトーンファッションの時代でしたから、モノトーンにすれば今までのものと差別化し、アピールできるだろうと考えました。1987年に高校生のための数量限定のテスト販売をしました。すると発売と同時にあっという間に売れてしまったのです。1996年の秋ぐらいには、高校生向けの商品がOLに売れていると言われました。その頃、私が通っていた洋服ブランドのオーナーさんが、「最近ピンクが売れてる」と教えてくれたので、ピンクの商品に力を入れたところ、携帯電話ケースとかストラップとか、ピンク色が飛ぶように売れました。今はアラフォー世代の方々も強力なお客様です。
これだけ1つのキャラクターを進化させることができたのはなぜでしょうか?
次にどうしようと思っているわけじゃなくて、何かのきっかけでひらめいちゃうのです。キャラクターなんだけどキティを人間と変わらないところまでもっていきたいなと思っています。いろんな人に夢を語ると笑われたりもしますが、これからも体力勝負でがんばっていきますよ。
山口 裕子ディレクター・ジェネラルマネジャー
株式会社サンリオ ディレクター/ジェネラルマネジャー
芸術学部 産業デザイン科(現:芸術学部 デザイン・工芸学科)卒業