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2017.10.24
女子美術大学 デザイン・工芸学科 ヴィジュアルデザイン専攻 澁谷克彦教授インタビュー

取材・文 上條桂子/写真 川瀬一絵(ゆかい)

 本校では、現在第一線で活躍されている方々を教授としてお招きし、現場で培ってきた知識や経験を活かした授業を展開しています。今回、そんな教授陣のなかでも注目の先生を紹介する連載がスタート! 記念すべき第1回目は、デザイン・工芸学科ヴィジュアルデザイン専攻の澁谷克彦教授のインタビューです。

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元資生堂のスターデザイナーが、
デザイン志望ではなかった!?



──まずは、澁谷さんご自身のデザインの原点を教えていただきたいのですが。どこかのインタビューで資生堂ドルックスの蓋に紙を当ててフロッタージュされていたというのを読んだことが あります。

自分のルーツはよくわからないんですが、母親も祖母も活け花をやっていました。なので、自分の周りには常に草花や花がある、そんな環境でした。活け花は、水盤の上に花を使ってデザインをして、空間そのものを変えていく、ひとつの装置とも言えます。そういう意味では、子どもながらに意識していたのかもしれません。庭もありましたので、四季を通じていろんな花が咲き、それを部屋の中に取り込んで愛でる。風流の原点みたいなものは感じていたでしょうね。

──絵は描かれるの好きということでしたが、何を描いていらっしゃいました?

四六時中ずーっと手を動かして何かを描いているような子ではなく、誰かにこれ描いてって言われて描くとすごく上手につくるようなタイプ。だから、僕らが子ども時代に流行った「鉄人28号」とか「鉄腕アトム」とかを友だちに描いてって言われて描いたような記憶はありますが、格段漫画少年だったということもありません。パッと見た何かを描写するのは得意だったので、デッサン力というか真似力が高かったのかもしれませんね。

──芸術的なもの、美術に触れたり本を読んだりされたような記憶は?

そうですね。映画も観たし本も読みましたし、そうした文化一般は好きでしたが、本当に普通の小学生のレベルを超えるものではありません。そういうので好きだったのは、プラネタリウムですね。渋谷の東急文化会館っていまのヒカリエになっているところに「天文博物館 五島プラネタリウム」というのがあって、親に毎月連れていってもらいました。星ってギリシャ神話が絡んでいるじゃないですか。オリオン座が何故夏には見えなくなるかというと、それは宿敵であるサソリ座が出てくるからなんです、みたいな。星のバックグラウンドに、さまざまな神話があるということにわくわくしたんです。

──それって芸術の原点のような。ロマンチックな少年ですね。

ただの物語なわけじゃなくて、物語とビジュアルが合わさっていたところが好きだったのかもね。今でも、アート作品の裏側にある物語を知るのが好きです。しかも、ギリシャ神話って結構下世話じゃないですか。ゼウスが牛の姿に変身してエウロペをさらってしまったり。嫉妬とか横恋慕とか、そういうことの繰り返しで、子ども心に神様ってしょうがねえなあみたいな(笑)。

写真2


──いわゆる“デザイン”的なものに触れた記憶は? お好きだったデザイナーさんとか。

大学はデザイン科に入ったんだけど、デザインをやりたくてしょうがなくてっていうタイプではなかったんですよ。学生時代はバンドばっかりやっていたし、そうした音楽的なこととかアート的なことがやりたいと思っていて。イメージしていたデザイナーは、横尾忠則さんだったんです。

──横尾さんとは、かなりデザイナーとは対極な存在ですね。もちろん横尾さんはグラフィックデザイナーとして大きな仕事をいくつもされていますが、その後80年代に画家宣言をされてから、完全にアートの世界の方ですよね。横尾さんのデザインに初めて出合ったのはいつですか?。

なんだろうな。もうすでに横尾さんは有名だったんじゃないかな。音楽が好きでバンドやってた。当時、無視できなかったのは音楽と宗教の関係で。ビートルズのジョージ・ハリソンやサンタナ、ジョン・マクラフリンとかもそうなんだけど、インド哲学や宗教にのめりこんで、それを音楽にも反映させて、ヒッピームーヴメントになっていたんですね。ビートルズのポスターとか、ちょうどその時代のデザインを横尾さんが手がけられていて。いま世界で一番カッコいい音楽に日本のアーティストが関係しているってすごいじゃん!って。横尾さんというと、天井桟敷や浅丘ルリ子さんのポスターといったアングラなイメージがありますが、逆にそういうのは後から知りましたね。

──高校生くらいの時には美術系の大学に行こう!って思われていたんですか?

それはね。高校3年の時に思ったの。進学校だったので最初は慶應とかに行きたいなと思っていたんですが、3年になって無理だということがわかって、じゃあ慶應に行けないならどこがカッコいいかなと思って(笑)、東京藝大を選んだんです。藝大以外の美大にはあんまり興味はなかったんです。若さゆえの変なこだわりで(笑)。バカですよねー。デザイナーが何をやる人かすらよくわかってなくて、デザイナーっていうのはカッコいいことをやるっていう人だと思ってて(笑)。本を作るとか文字を選ぶとか、まったく想像もしてなかったですね。亀倉雄索さんとか田中一光さんとかも、お名前やお仕事は存じ上げてはいましたが、そんなに魅力は感じてなくて。完全に勉強不足だっただけなんですが、自分がやりたいことがそこにあるとは思わなかった。資生堂に入る少し前に同じ藝大出身の仲條正義さんと出会った時に、仲條さんのようなカッコいいデザイナーがいるんだ!って思いましたね。


デザイン専攻の大学時代も、
常に型にはハマらない



──ご自身が藝大で受けていた授業の中で面白かったものってありますか? 教えるに当たって思い出されたりしませんでしたか?

僕はひどい学生だったので(笑)。でも印象に残っていることはいくつかあります。1、2年は基礎実技というのをやっていて、女性のヌードデッサンを少し自分流に描くとか、基礎造形ですよね。3年生から、プロダクト系、環境系、グラフィック系と専攻がわかれていきます。僕は立体よりも平面が得意だったので、ビジュアル専攻にしようと思っていたんですが、すごく人気で抽選だったんです。抽選で行くのもダサいなと思って、一番人気がなかった「構成デザイン」という専攻でした。いまにして思えば、先輩にはアートディレクターの佐藤卓さんや、美術家の野又穫さんといった立派な方がいらっしゃる専攻で、何をしていたかというと文様研究だったんです。最初の課題が、平等院鳳凰堂の「繧繝彩色」の模写。きちんと最後までやりきって提出した、最初で最後の完成までたどりついた課題です(笑)。 あとは正直、バンドやって遊んでたんですよね。というより下手くそなので真剣に。他の課題とかも、エスキースくらいを適当に出して、なんとか切り抜けていました。

写真3


──卒制はどうだったんですか?

卒制も専攻とは全然関係ないことをやって(笑)。いわゆる枠の中に絵を描くとか、デザインパターンを作るようなことには一切興味がなくて。他の人とは違うことをやりたいとか、何をやったらみんながびっくりするかばかり考えていました。結果的に、先生にも誰にも相談せず、壁の中にむにゅっうっと布がめり込んでいるように見える、立体のインスタレーション空間をつくりました。藝大っていうのはちょっと不思議な学校で、なんとなくの共通点としてはどこか破綻してるというか、型にハマってはいけないと常に思っているというか。いわゆるきっちりと仕事をするデザイナーじゃないんです。先輩の仲條さんがよくいうのは「できたと思ったら壊せ」と。だから、自分のひとつのフレームの中で商売をするんじゃなくて、常に前に進んでいかなきゃっていう気持ちは当時もありましたし、今もそんなに変わっていません。

──カッコいいですね。卒業後はデザイナーとして資生堂に入社されるわけですが、何故資生堂を目指されたのでしょうか?

そんな感じですごくいい加減な人間だったので、このままだったらただのダメ人間で一生が終わるなと思って。親を安心させたかったこともあり、まずは就職しようと。広告代理店にしようかなと思っていたんですが、たまたま資生堂の募集があったんです。その前数年募集がなくて、僕が卒業する一年前に久々に募集をして、今年はあるかどうかと思っていたところで。4年の夏休みが終わった頃ですかね。僕らはのんびりした時代でしたから。就職課に行ったら、資生堂1名募集と出ていて。学内募集だったので選抜だったんですが、他に希望者もいなかったので入れることになったんです。

──実際にお仕事として始められる前は資生堂のデザインについて、どんな印象をお持ちだったんですか?

普通に一人の消費者として見ていました。当時の広告は、印象がそこまで刺激的ではなくソフトで、母親とかが資生堂って素敵ね〜とかって言ってるのも聞いていて。女性に人気がある会社だということは感じていたし、僕の中にも女性的な面があるので合うかなとは思いましたね。なんというか、ほのぼのとした美しさみたいなのもいいな、と思っていました。結局それから36年間、女性ばっかりの職場で、女性のためのデザインをし続けていたわけですから、きっと肌にも合っていたんでしょう。自分はオバサン化しているんじゃないかって思う時がたまにあります(笑)。


散らばる点を線や形にしていく、
デザインには“物語”が必要。



──資生堂の女性向けのブランドの広告や商品に関するデザインに36年間携わられていたわけですよね。飽きることはありませんでしたか?

女性のことはね。やっぱりよくわからないんですよ。わからなくて答えがない、掴めそうで掴めない、だから追いかけ続けられるというか。毎日が、昨日いいって言ってたのに、なんで今日はなんでダメなの? ということの繰り返しで(笑)。女性の気分は変わると言いますが、それが真実なのだとしたら、それに対してどう対応するか、じゃあ変わらない部分は何なのか。そこを見つけてやっていくようにはしていましたね。僕が入った時は、女性デザイナーって一人もいなかったんです。でも、いまは資生堂の中でも女性のデザイナーが増えてきている。当たり前のことですが、男だけで考える女性像と、男女半々くらいで考える女性像はまったく違う。女性にとっての化粧品は、憧れっていうよりは毎日の実用品。そんなものに憧れている暇はないわけです。もちろんキレイになるという目標や夢はあるかもしれませんが、商品に対してはそこまでロマンチックな感情は持っていない。女性のデザイナーたちは、わりとそういう部分をリアルに出すことが多いですね。男の方がいつもロマンチックです。

写真4


──2012年からは資生堂の企業広報誌『花椿』のアートディレクションもご担当されていました。『花椿』の場合は、アートディレクションと編集が分かちがたく結びついているように感じましたが、どのように進められていたのでしょうか?

そうですね。やっぱり現代の女性を表現していかなきゃいけないと思っていて。現在の判型にリニューアルしてから、さらに若い人たちに読んでもらいたいという主旨で進めてきました。今、街で何が起きているのかっていう現象から、企画に結びつけていかなきゃいけないという。例えば夏号の「pink pop」という特集では、そういえば最近ピンクヘアの子が増えたよねという事象があって、じゃあ何故彼女たちは髪の毛をピンク色にするのかという疑問が湧き、そういえばアメリカのトランプ大統領を巡るデモをしている活動家の女性たちはみんなピンクの何かを身に着けたり、掲げたりしているな。点としてある事象を繋ぎ合わせていくと、今、ピンクは新しい女性たちのデモクラシーの色なんだ、ピンクって可愛いだけじゃなく強い意志を持った女性の色になっているのかもしれないという仮説が成り立つ。そこからストーリーを展開させていくんです。

──企画の発端は街にあるという感じなのですか?

どこにあるかはわかりませんね。何かのリアルな現象を見つけて、それを横に展開させていく。また、これは資生堂の本なので、ピンクというムーブメントを資生堂の事業に繋げなければなりません。もちろんピンクは、化粧品として口紅やチーク等いろいろなところでポイントになる色ですが、じゃあ先ほどのムーブメントと絡めた時に、資生堂としてはピンクをどう再解釈できるんだろうかということを考える。ピンクの解釈の仕方ひとつで、1本の口紅のバックグラウンドを巡るストーリーをつくることができる。ピンクの口紅はただ可愛らしいだけじゃなくて、強さも秘めている。あなたの存在をより主張できる色なんですよと。それは店頭でのセールストークに展開できるかもしれません。

──目の前にあるものだけじゃなく、その背景にある物語を抽象化してビジュアライズする。その物語の部分が大事なんですね。

デザインをするうえで、ストーリーは非常に重要だと思っています。散らばっている点をいろいろな方法でつなげて、線や形にして見せる。だから、その要素のひとつとして編集的なこともあるだろうし、写真を撮影するにしても切り口をつくらないと伝わらないですよね。ピンクという特集をした時に、ただ可愛い子がピンクの服を着て、素敵なトーンの写真を撮ってもダメなわけです。

──『花椿』では、起用している作家やミュージシャン、イラストレーターも、本当に“今”っていう人が使われていて、それにも驚きます。

それは僕の力だけじゃなくて、編集スタッフみんなの意見が入っています。でも、写真家とかはわりと僕の感覚が入っていて。若い人ばっかりじゃつまらないから、おじいちゃんを入れようとかね。年寄りか若いって言う組み合わせが多いような気がします。例えば、アラーキーと奥山由之さんとかね。中間くらいの年代でバリバリ仕事ができるような人はあんまり使っていないのかも。『花椿』に関しては、完全にチームの仕事なので100%自分の思う通りになっているわけじゃありません。でも、自分の思うようにいかなかったとしても、他の人にとっては面白いことなのかもしれないって考えていて。僕が几帳面な人間じゃないからできることなのかもね。


30歳過ぎて、初めて感じた、
デザインって面白い!



──澁谷さんは、昨年の秋から女子美で非常勤講師をされて、今年の4月から正式にデザイン科の教授に就任されましたが、ご自身の中で教育に対して興味が湧いてきたということがあったのですか?

どうなんでしょうね(笑)。資生堂のデザイナーたちの中でも、意外とデザインの面白さがわかっていない人が多くて。デザインって面白い、とその人が気づく瞬間って僕もすごくうれしいわけですよ。資生堂でも年長だったので、会社のなかでセミナーを開いて「資生堂のデザインとは」というレクチャーをしたり、いわゆる教育的なことをやっていました。すると、仕事をしていく中でその人の中で何かが開く瞬間があるんです。学生だって同じじゃないですか。デザインって面白い! と思ってもらいたい。そういう機会に触れることが自分の歓びというか。俺が教えてやりたい、なんてことは全然なくて、きっかけをつくりたいというか。というのも、僕がもともとデザインに興味があったわけではなくて、本当にこの仕事が面白いって思い始めたのって、30歳過ぎなんです。でも、その面白さに気づくことが出来てから、デザイナーとしての寿命が延びていったのだと思います。いまでもデザイン面白いなと思ってるし、デザインに携わる人には、デザインって面白いと思ってもらいたいですね。

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──確かに。自分がやっている仕事の面白さに気づく時期は人それぞれですが、時間がかかるものですよね。渋谷さんが30歳過ぎに、あ、デザインって面白い!って思ったのは、何がきっかけだったんですか?

横須賀功光さんという写真家の方から依頼された写真ミュージアム「旧軽井沢写真美術館」でのビジュアルの仕事です。旧軽井沢の別荘地の一角にある小さな美術館で、森の中のミュージアムというイメージの場所でした。横須賀さんからは、「写真っていうのはさ、ボックスの中に銀塩っていう銀の粒子があってそれが光を受けて、変わっていくことなんだよな。銀と光の出会いなんだよ」なんて言われて。そのストーリーを自分の中で繋げていって、ひとつのロゴデザインをつくったんですね。普通だったら頭文字のKMPという文字を並べるんだと思いますが、当時の僕が提案したのは、KMPという3文字をものすごく小さい粒子にして埋め尽くして、遠くから見るとグレーの長方形にしか見えないというビジュアル。コンピュータなんて使っていない頃なので、1枚1枚手で切って貼るわけです。しかも、一つひとつの文字の角度も微妙に変えていて。Kだけ貼るのに8時間くらいかかって、3文字だから3倍以上ですよね。没頭してつくり続けました。

写真6
Karuizawa Museum Of Photography

──すごい、念のようなものを感じます。

写経みたいでしたよ(笑)。終わった時には、結果がどうであれ自分の中でやり切ったなという感はありました。文字をひとつずつ重ねていくという地道な作業のなかで、この先に本当に答えはあるんだろうかとかすごく考えるんです。でもどこかのタイミングで、無の状態になってひたすら作業をする。すごく豊かな時間でした。もともと僕はそういうコツコツタイプじゃなくて、一瞬でKとMとPをパッと並べるようなデザイナーになりたかったのに、なんでこんな泥臭い作業に充実感を覚えるんだろう。自分の個性はこっちにあるんじゃないかと気づいた瞬間だったんです。もうひとつそのときに考えたのは、「シンプル」とは何かということ。デザインはシンプルな方がいい。それは間違いないことなんですが、じゃあシンプルって何なんだ?という。KMPという文字をただ並べるって、そこには極意しかなくて。当時の僕はそこにたどり着けないから、汗水垂らしながら、人がやっていないことをやってみるしかない。その結果が、遠くから見たらグレーの長方形、シンプルじゃん! っていう。それが、僕の中のシンプルだったんです。でもね、結局ロゴとしては没になったんです(笑)。

──えーー! でも、ボツになったとはいえ、やったことは無じゃなかった。

もちろん。横須賀さんも基本的にはアーティスティックな方なので、「これ、面白いからポスターにしようよ」と言ってくれてポスターを作りました。そのポスターを仲條さんに見せたら、何も説明してないのにすぐ「いいね!」と言ってくれて。他に誰もやってないことだとわかってくれたんですよね。でも、いまだに「澁谷はあの頃が一番よかったよな〜。あの頃を越えられてない」って言われてしまうんですけどね(笑)。



感覚の筋トレをしていく、 澁谷先生の授業。


──澁谷さんは、この4月から教授になられたわけですが、女子美ではどんな授業をご担当されているのですか?

1年生の必修授業では「色彩」の授業をやっています。何故色彩かと言われると、特にそれは僕の希望というわけではなくて、担当と言われたからやっているだけです(笑)。全部の分野の授業もやってみたいんですけどね。僕が教科書にしているのは、ヨゼフ・アルバース(ジョセフ・アルバースとも言う)が書いた『配色の設計──色の知覚と相互作用』という本。ヨゼフ・アルバースっていうのは、ドイツ出身の美術家でバウハウスで教えていたり、その後アメリカのブラック・マウンテン・カレッジ、イエール大学などでも美術教育をしていた人で、教え子にはたくさんの美術家がいます。何故、彼の本を教科書にしたかというと、書店で見つけた時にすごく美しい本だと思ったから。その時には役に立たなくても、ずーっと自分の本棚に置いておけばいい。5年後でも10年後でも、ある時それを見て、なんてきれいな本なんだろうと思ってもらえたら。女子美生の本棚には、全員この本があるっていうこと自体がその学生の宝になると思ったんです。


もうひとつはバウハウスの色彩教育をやってようと思ったんです。何故なら、いまデザインを志望してくる学生ってみんなアニメ好きで、もちろんアニメが好きでいいんですが、皆さんはこれから“デザイン”をやっていく、そのことを意識してもらいたいと思ったからです。デザインには歴史があります。もともとはアートから始まったものですが、装飾や建築から影響を受け、だんだんとデザインというスタイルができ上がってきました。言葉で言うと、アーツ&クラフツからアール・ヌーボー、アール・デコという流れがあって、それが現在のグラフィックデザインやプロダクトデザイン、イラストレーションやアニメーション、漫画に発展してきた。みんなは、そうした脈々と続く歴史の延長線上に立っているんすよ、ということを意識してもらえたらと思ったんです。

将来、皆さんがなんからのデザイン活動をしていく上で困った問題にぶつかった時は、自分の先輩たちやご先祖様に当たるような人たちがやってきたことに立ち返れば、答えが導き出せるかもなれない。自分は一つの点ではなく、バックグラウンドにはずーっと線が続いているんだと。自分もそう思いながらデザインをしていますし、誰かに「これデザインなの?」と言われた時に「デザインです」と自信を持って言える、そういうバックグラウンドをつくって欲しい。それは、どうやってつくるかというと、本物に触れるしかない。本物に触れることで型破りもできる。自分の中で「これはデザインだ」と確信を持てるものがつくれるような気がします。逆に本物を知らないと、自分の中のデザインの概念自体が曖昧になってしまうと思うんですよね。

──バウハウスの理論を知ることで、自分たちの原点を確かなものにするということですね。すごくよくわかりますが、突然、遠い過去の歴史の人の話をされても、ちょっとぽかーんとしてしまうような気がするのですが。

大丈夫。僕の授業は実技なので、寝てしまうようなことはありません(笑)。教科書はお守りみたいなもので、実際にアルバースがつくった、カラーペーパーを使ってそれを切ったり貼ったりしながら配色を学ぶような授業です。筋トレに近いイメージで、色彩脳を鍛えていって、自分なりのルールを見つけていくようなイメージでしょうか。最初にカラーペーパーを使って配色をし、自分で配色した同じものをCMYKに変えるという作業をしてもらいます。まだ、パソコンは使いません。色の掛け合わせ見本を見ながら、自分で色を探して、身体的に色を会得していきます。きっとこの授業が終わった時にコンピュータに向かったら、自分が思い描いた色のCMYKの色がすぐに叩き出せるようになる。また、配色をする時も同様で、何故この配色は合っているかと考えた時にどちらもYが入ってるからかな、とかルールを見つけやすい。配色だったら何でも来い!となるのが理想だけど、実はそれってあんまり意味がなくて。色のつくり方は個性。この人はパステルカラーの扱いがすごくうまいとか、独特な濁色の使い方で安心感のある配色をするとか。色彩というのは、自分なりの理論なんですよね。それを見つけるための筋トレをしている感じです。

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──なるほど。自分の中でのルールがはっきりしていないと、人に何かを言われた時にブレてしまいますからね。

そうです。今後、どんな仕事に携わるにせよデザインのプロとして、様々な人に対して、何故この色がいいのか、このデザインにはこの配色がいいのかということを説得していかなければなりません。極端に言うと、いまだったら素人の人でもMacを適当にいじって適当にやれば、色ってつくれちゃう。デザインを頼まれた相手に、俺がやるからキミが途中までつくったデザインデータをちょうだいとか言われたら、嫌じゃないですか? 僕は嫌です。それはモラルの問題もありますが、相手にそういうことを言われた時に、確固たる自分の中での考えがないと簡単に折れてしまう。どんな職業に就いたとしても、私はデザインを学んだ専門家ですって、胸を張って言えるようになって欲しいと思いますね。

──3年生の授業では何をされているんですか?

「見つける」「伝える」「かたち」という授業があって、僕は「伝える」という授業を担当しています。何をしているかというと、自分の中での鉄板ネタがあって。資生堂という会社にいると、若い子向けのブランドから主婦向けのブランド、グローバルのお客様に向けたブランド……、一口で“女性”と言ってもすごく幅広い。それぞれに向けた商品の広告があり、そのアートディレクションを担当します。アートディレクションの中でもすごく重要なのがフォトディレクションで、各ブランドごとに“どういう女性を写し撮ろうとしているか”──母性本能を感じさせる女性を撮る、ニッポンの女を撮る、カワイイ女を撮る、ブランドによってまったくイメージは異なるわけです。授業では、まずは「女」を共通テーマにして、すべて褒め言葉で例えば「セクシーな女」「グローバルな女」「強い女」「癒し系の女」……といったテーマを設定して、パネルをつくってもらう。手法はイラストレーションでも、写真でも、グラフィックでも、イモ版でも構いません。でも、全部「女」。最終的には、一人9枚のパネルをつくって、提出してもらいました。

一種のピクトグラムみたいなもの、と思ってもらうとわかりやすいでしょうか。たとえば「セクシーな女性」を1枚で表現してもらう時、それが「セクシー」と伝わることが重要。でも、9枚セットになった場合、全体として沸き立ってくる世界観が重要になってくる。統一感というか、全体的に見てある雰囲気を持たせながら、セクシーや癒し系といったイメージの差別化をしなければなりません。1枚だけでわからせるのではなく、9枚で伝える。それを同じような感じで、「女」「干支」「職業」という3つのテーマでやってもらいました。

──ズバリ、その授業の狙いは何なのですか?

アニメからデザインへの考え方の切り替えです。最初の段階では、やはり自分の好みになるのか可愛らしいウサミミとかがついた女の子を描いてきたりする子が多い。それはそれでいいんです。でも、最初に1つのテーマで全員が描いたものを並べてみるんですね。そうして、全員で見ながらどの絵が印象に残るかを見比べる。すると、よく似たタッチの絵がたくさんあっても目立ちません。印象に残らないんですよね。全然違う手法で描いた線画だったり、抽象的な絵の方が目立つということが起きる。それはアニメがダメなわけではなくて、「伝える」デザインをしていく時に、人と違うことをやるっていうのがどれほど重要かを、授業の中で一緒に学んでいくということなんです。

──今年、初めて卒制をご担当されることになるわけですよね。澁谷さんが、今後女子美でやっていきたいことがあったら教えてください。

そうなんです。実は、女子美における野望があって。美大ってどこも女性が多くなっていて、多摩美や武蔵美も4対1くらいで女子が多くて、東京藝大ですら3対1くらいで女子が多い。だから、みんなほとんど女子なんです。そのなかで“女子だけで学ぶ”ことのプライオリティがないとつまらないし、そこに面白さがあるんじゃないかと思っていて、掘り起こしていきたいと思います。単に倍率とか偏差値とか、先生単体の魅力ではなくて、“女子だけ”の学校として、入ってから面白そうだなという魅力を感じてもらいたいなと思っています。僕は、たまたま資生堂っていう女性だらけの会社にいましたが、資生堂って女性の生き方を応援する会社なんですね。化粧品を売ってはいますが、“美しさ”をレゾンデートル(存在意義)にして、女性を応援する会社なんですよ。そんなふうに、女子ばっかりを36年間応援してきた僕が、今度は女子美の皆さんを応援する。女難の相かもしれませんが、一緒に楽しんでいけたらと思います。


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PROFILE 澁谷克彦
しぶや・かつひこ/1957年東京都生まれ。1981年東京藝術大学デザイン科卒業。同年、資生堂宣伝部入社。「PERKY JEAN」「男のギア」「RECIENTE」など化粧品広告をはじめ、「AYURA」「ISSEY MIYAKE」などブランドのアートディレクション&CIデザインを手がける。2002年より「INOUI ID」、07年より「SHISEIDO」といったグローバルブランドのデザインを、パッケージ+スペース+グラフィックとトータルにディレクション。12 年4月より『花椿』誌アートディレクターを努める。17年3月に資生堂を退社、4月より女子美術大学教授に就任。






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